2012年09月12日

アユのために走る 前編


ここのところしばらく愛という言葉を口にしてない。
それから鮎もだ。
はたして人は鮎のためにどこまで走れるのだろうか。
それを確かめたくて、群馬県の愛妻の湯の町(恐妻の碑もあるのだ)へ愛妻家仲間のk氏と行って来た。

まずは愛妻家らしく出発前に愛妻から手渡された回覧板をご近所に届けてから。
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その後は国道254で美里、児玉を抜け神川へ。
この日は日曜日だったので道のオアシス神川の反対側の広場では朝早くから骨董市が開かれていたのでした。
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ちょっと覗いていこうと自転車をロックしていたら、駐車場の係りの方が
「カギなんかしておいたって、こういうところでは帰るまで自転車があるかわからないよ」
と物騒なことを言うので見学はやめておきました。
確かに大型のワイヤーカッターなどの道具類も売られてますからねえ。
ウチらの自転車も骨董品みたいだし。

元阿保あたりの街道端は今まさに梨の最盛期。
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藤岡の街を過ぎ、群馬県道30号で高崎に向かい、高崎の手前のコンビニで休憩。
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一ヶ月ぶりのロード。
「疲れ果てている事は 誰にも隠せはしないだろう」
拓郎に言われているようだった。
なので初めて「burn」を飲んでみた。
夏休みは終わったけれど俄然、明日に向かって走りたくなった。
今日のところはたどり着いたらいつも雨降りという心配もないし。

高崎の少林山達磨寺を過ぎたところで、県道30号から別れ、碓井川を渡り左岸に行ってみた。
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国道18号と並行して走る碓井川サイクリングロード。
このサイクリングロードは初めだったけど、陽当たりが良く、おまけに草いきれもすごくとても暑くてまいりました。

途中の野球場では前橋育英高校とどこかの野球試合が行われていた。
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暑い暑いと言っても、もう秋の大会が行われているのですね。

妙義山に向かって走る
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この後サイクリングロードは碓井川から九十九川に移りまだ続くのですが、こちらは安中市の城下の交差点を過ぎたあたりで適当にサイクリングロードを降り、市街地への坂道を登ります。

適当に来たところがドンピシャリでお目当ての店の前に。
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有田屋さんで補給をと目論んでやって来たのですが、ドンピシャリで定休日。

仕方がないので近くの自販機でコーラを飲んで出発。
先ほどの有田屋さんあたりから国道18号(旧道)を進みます。

軽井沢まで34kmだって。
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意外と近い?

原市の杉並木が見えてきました。
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1604(慶長9)年に中山道を改修した際に植樹されたのがはじまりと言われ、一時は天然記念物に指定されたのですが、今は多くが枯れてしまい指定解除になったとか。
子どもの頃、このあたりにはドライブインが建ち並び、信越方面に行く時は必ず立ち寄ったことを思い出します。

左側の木なんかどう見ても私より若そう。
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私もここなら中堅クラス?

後半に続く


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2012年09月10日

私的知々夫紀行(島田屋旅館跡から野上高砂橋)その5

前回の記事から9日、当然実際ポタに行った日はもっと前。
既に遠い昔のような感もありますが、始めた以上けじめをつけないといけないので続きを書くことにします。
自分のための備忘録ということですかね。行ったことを忘れて、また行ってしまうかもしれないので。^^


樋口あたりで清水を飲んだ露伴たちにあやかって、樋口駅の近くの清水屋でかき氷を食べた、というところからでした。

樋口からはところどころに残る旧秩父往還をたどって行きます。
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オクラの花がきれいでした。

7月の秩父のポタで渡った木橋。
このあたりではまだ、お盆の飾りなどを川に流す風習が残っているようです。
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あの時は、銀輪乗士さんにネタのために渡らされたのかと思いましたが、迅速測図で確認すると旧秩父往還なのですね。疑ってスミマセン。

この後は秩父往還をはずれて川沿いの小道をたどって高砂橋まで行くことに。

長瀞ライン下り
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下りきった後はこうしてトラックで上流に運ぶのですね。
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ジロジロ見ていたのがまずかったのでしょうか、係の人が鬱陶しそうな目をしてました。^^
秘密でもないでしょうに。

本野上に着いた露伴一行は、昼食を食べた店のおばあさんに荒川にあるという高砂石の案内を頼みます。でも、当時流行していた赤痢のために若い者は忙しく、また、川など行ったら赤痢に感染するので案内する者などいないと言われ、高砂石の見物はあきらめたと記しています。

それでは、私が代わりに見てみましょう、とばかりに探して見ることに。

まずはその名の付いた高砂橋に立って周囲を観察してみる。
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右側の岩が何となく怪しい。
地元の人に聞いてみようにも、いるのはラフティングの若者ばかりなので、あきらめて直接行ってみることに。

岩畳からだいぶ離れた、寂しい林の中に古い石碑が建っていました。
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これか?
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赤い線でも引いてもらわないとわかりません。^^

河原に降りてみます。
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上流から埼玉県警と書いてあるラフティングボートがやって来て若者で賑わう対岸に上陸。
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お巡りさんもラフティングを楽しんでいるのかと思いきや、埼玉県警河川パトロール隊だそうです。
お疲れ様です。

そんなことより高砂石はどこ?

これか?
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おじいさんとおばあさんに見えなくもない?

結局それらしきものは見つからず。
あまり、ジロジロ、パチパチして盗撮でもしているのかと思われたら大変。河川パトロールのお巡りさんがこっちに向かって来ないうちに退散することに。

露伴はこの後、皆野の金崎、国神を経て秩父橋を渡り大宮(秩父)で二日目の宿を取ったとあります。
結局、私の方の知々夫紀行は二日で、秩父まで到達できず。
露伴の旅の場合、同伴者の寒月子(淡島寒月のことだろうか)が行く先々で絵を描いて、それを待ちながらの旅だったので時間もかかったのでしょうが、それよりもペースが遅いとはいったいどういうことでしょうか。^^

いずれにしても、いつになるかわかりませんが、旅の続きをやってみたいとは思っています。

帰り道、銀輪さんとZEROさんに合流し、朝早くて食べられなかった大黒屋さんのゴリゴリカフェのかき氷を食べることができました。
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かけ放題だからとシロップを全部かけると変な色になります。
まさに今回のポタがそうなのでありました。^^
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2012年09月01日

私的知々夫紀行(島田屋旅館跡から野上高砂橋)その4

前回、続くと書いておきながら忘れるところでした。
と言うことで、しつこく知々夫紀行ポタの続きをやります。

象ヶ鼻を出た後は国道140号に出て、旧道とバイパスが一緒の区間をしばらく走り、末野の交差点手前を右に。
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秩父鉄道の踏切を渡り秩父往還の旧道に。
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このあたりから先のしばらくの間は迅速測図に表されたとおりの道筋が残っているようです。
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古い石塔なども大事に残されています。
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「庚申待」ではなく「甲子待」
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そういうのもあるのだろうか。
このブログは時々しか更新しないので「更新待」(誰も待ってねーよの声も)

西行の戻り橋を越えて波久礼駅に向かいます。
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「たてがみ」の次は波久礼駅。
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看板を見て食べたくなったが、まだ昼にはちょっと早い時間なので我慢、我慢。
ヒヒン、ヒヒンと次に向かうのです。

いつ見ても波久礼駅は良いなあと思う。
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幼い頃よく利用したので、懐かしさもあって、なおさらなのです。

駅のすぐ横の踏切は遮断機、警報機がないので渡る時は注意が必要です。
渡りきったらちょうど急行列車が。
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駅から一旦、国道140号の現道に出て秩父に向かいます。

<末野を過ぐる頃より平地ようやく窄(せばま)り、左右の山々近く道に逼(せま)らんとす>
露伴が書き記しているのはこのことだな。
山裾のわずかな平坦地を国道と線路が分け合って並走している所。
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露伴の時代は鉄道はなかったので秩父往還は本当の崖下を通っていたのだと思われます。
もちろん荒川にも玉淀ダムもなかったので今のような動かない水ではなかったのですね。

しかし、ここの崖のような斜面はすごい。
写真を撮り忘れたので地形図で想像してください。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=139.15862257362&latitude=36.13185660584
これを見ても、荒川沿いでこれだけ等高線が密集しているところはこの先奥秩父までないのでは?

今の写真で早くもカメラのバッテリー切れ。
まだ10何kmしか走ってないのに撮影枚数130オーバー。^^
次からはケータイで失礼なのです。

三味線屋さんなどがある先で右に折れて旧道に入ります。
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旧道に入るとすぐに石仏群がお出迎え。
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下破崩石仏
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しもはくずれ?
あー、「シモハグレ」か。
しばらくしてやっとわかりました。^^
なるほど「ハグレ」とはこういう風にも書くのですね。
確かに先ほどの崖のような地形を端的に表している地名であります。
「波久礼」とは荒川の流れが波打つ様から付いた地名と聞いたことがあります。
さて、どっちが先に出来た地名なのか。またどのように使い分けているのか。
ちょっと興味があります。

SLが故障中なので通称「赤デキ」と呼ばれる電気機関車が客車を引っ張っていた。
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ちょっと先の神社の大砲の弾
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除隊記念に持ち帰ってきたのだろうか。

この後、旧秩父往還は国道140号を横断して反対側に。

そこには二十二夜塔も。
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その先で旧道から別れて荒川の河原の調査。
露伴も見たと記した矢那瀬の「重忠の鬢水」と呼ばれる赤い大岩を見つけに。
その岩の窪みに溜まった水をくみ干せば必ず雨が降るという。
晴天続きのこの時期にちょうど良いではないですか。

河原に降りる一本目の道。
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5m位の高さの石垣を降りなければならないのです。
人が時々下りているような形跡があるのですが、足の指が痛く、しかもサンダル履きなのでパス。

次の道は難なく河原まで降りることができました。
モットオエット隊なら自転車でも降りれれるかも。
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河原を見回しても、それらしき大岩はなし。
先ほどの理由でごろごろの石だらけの河原を歩くのも辛いので、探索は次回に回すことに。

また、国道140号の現道に戻り、矢那瀬の集落が終わるところで右折してまた旧道に。
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この小道は若い頃、仕事で関わったことがあるので懐かしいのです。
もちろんその頃は、旧秩父往還だなんて知りませんでしたが。
現在のようにこのような看板など全くなかったし。
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その樋口方面の眺め
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確かに絶景ですね。

ここの絶景ポイントを抜けると長瀞町の野上下郷。
ここの字滝の上と言うところで露伴は岩陰に清水見つけてを飲んだと書いてます。
滝の上というと地図で見ると長瀞第二小学校の裏あたり。
こちらも暑くて暑くて喉も渇いてきたので、清水が飲みたい。
それらしいところをあたりましたが、結局、岩陰から湧き出す清水は見つからず。

熊野神社の下にこのような沢が流れていましたが。
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当時ならともかく、今では絶対に飲めないのです。

こうなりゃ、あの清水しかないなと思い、樋口駅まで戻り、あの清水へ。
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清水屋さんなら間違いなく冷たいものがいただけるのです。

天然氷のかき氷
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うまいねえ。
安いねえ。

露伴は、この先の皆野で<あつき日にはあつきものこそよかるべけれ>と葛湯を飲んだとあるのですが、私はそこまでは出来ないので、ちょっとだけ暑いカツ丼を。
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食事をしながら、店主さん夫妻にいろいろ情報を聞き出す。
あちらも、二人ともテーブルに腰掛け、テレビのど自慢を見ながら、いろいろ教えてくれます。
案内板にもあった樋の口というのは、山の上の砦を攻めるために火の着いた弓矢を射った火ノ口ではないかなどと。
食堂というよりも、家庭の居間の雰囲気の店なのでした。

(もういい加減いしろと思われながらもまだ)続く

参考:幸田露伴「知々夫紀行」  近藤信行編『山の旅明治・大正編』岩波文庫
posted by tomochan at 20:46| 埼玉 ☔| Comment(6) | TrackBack(0) | サイクリング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月27日

私的知々夫紀行(島田屋旅館跡から野上高砂橋)その2

<九時少し過ぐる頃寄居に入る。ここは人家も少からず、町の彼方(かなた)に秩父の山々近く見えて如何(いか)にも田舎びたれど、熊谷より大宮郷に至る道の中にて第一の賑わしきところなりとぞ。さればにや氷売る店など涼しげによろずを取りなして都めかしたるもあり。とある店に入り、氷に喉(のんど)の渇(かわき)を癒(いや)して>

樋の下古道の入口の沢の冷気よりも、もっと涼しいものがこの先にある?

そうです。当時も今も夏に涼しいものと言えば氷。
ここの街道脇には氷やコンニャクなどを扱う大黒屋さんという店があるのです。
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写真は国道140号(旧道)に面した正面側。裏側が旧秩父往還に面しています。

この大黒屋さん、これまでもあった飲食コーナーがこの春から「ゴリゴリカフェ」としてリニューアルされ人気のようです。
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ただしこの時、まだ九時前。
開店時間には早いので露伴のようにかき氷とはいかず、断念。

さて、露伴は寄居に入り氷で喉を癒したということですが、ここで気になるのはどこの店で氷を食したかと言うこと。

今でこそ、大黒屋さんあたりも寄居とひと続きの街並みのように見うけられますが、当時の迅速測図を見ると、このあたりは寄居町ではなく桜沢村で、人家もまばらなところだったようです。
露伴は寄居に入って氷を食べたと記していることから、氷を食べたのは大黒屋さんではないのかもしれません。大黒屋さんは寄居町から今のところに移転したのなら話は別ですが。
このあたりは次に大黒屋さんに氷を食べに行った時にお店の方にでも伺ってみることにしましょう。

寄居町にもう一軒、氷屋さんがあると聞いたので行ってみることに。
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新花さんと言う店名だけを頼りに、あちこち尋ね歩いてやっと見つけましたが、残念ながら現在は廃業されている様子。
こちらは昔からの寄居の市街地にはありましたが、秩父往還からはちょっと引っ込んでいるし、あたりの様子も露伴の言うような<都めかしたる>ところが感じられない。

ということは、露伴が氷を食したのは氷屋さんではなくて、秩父往還沿いの飲食店か、もしくは他の商売の傍ら氷も供していたような店だったのかも知れません。
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いずれにしても「露伴の氷」として売り出せば・・・
売れないか。^^

さて、話は大黒屋さんの裏まで戻ります。
このあたりの迅速測図をじっくり見ると、旧秩父往還はここから現在の道のようにまっすぐ国道140号の旧道に向かうのではなく、大黒屋さんの裏で左方向の道、天沼川の方に向かっているように見えます。
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そこで実際に行ってみることに。
しかし、すぐに天沼川にさえぎられて道も終わりに?
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と思いましたが、道は右に折れて国道140号の旧道に続いていました。
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ここにちょうど近所の方がいらして、お話を伺うことが出来ました。
思った通り、上の写真を撮影したあたりに昔、橋があったと聞いたことがあるとのこと。

天沼川にかかる現在の橋
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ここを渡ると寄居。

橋に連続して東武東上線の踏切があります。
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現在の橋の上から旧秩父往還の橋があったのではないかと思われるあたりを見る。
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青い屋根のお宅の先あたりに橋があったらしい。

天沼川の反対側に行ってみましょう。
蜘蛛の巣を払いながら獣道のような小径をたどり、先ほど道が切れているように見えた場所の反対側に。
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写真の奥の方から進んで来ました。
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このあたりは天沼川に落ちる崖のような斜面のような場所なのですが、古道の存在を示すものはないかとヤブの中を探して見ると、ありました、ありました。
馬頭観世音と刻まれた石碑
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一つは天保と刻まれていました。
ということは、今はただの崖のようになってしまっていますが、かつては橋があり、道路があった証拠ではないかと思うのです。

その道は崖を上がったところに後年作られた東上線の玉淀駅で消えてしまっているようです。
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この辺は旧公図を調べて見ればハッキリするかもしれませんので、後日確認してみたいと思います。


さて、大通りに戻り、天沼川と東上線を渡り、角を曲がると寄居の市街地越しに秩父の山並みが目に飛び込んできます。

<町の彼方(かなた)に秩父の山々近く見えて>とはこの光景を見てのことだったのでしょうか。
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正面に見える丸い形の山が釜伏山。
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ここの秩父往還はその釜伏山に向かって造られたという話も聞いたことがあります。
それにしては少し方向がずれているようなのですが。
真偽のほどはともかくとして、ロマンのある話には違いありませんね。

秩父往還に面した伊勢屋さんで補給。
「まだ九時なのにもう営業しているのですね」
「まだ九時なのにもうおやつなのですね」
とはさすがに言われなかった。^^
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引き足が使えないのでサンダル履きでロードバイクは疲れるのです。
そんな訳はなく、先客のローディのバイクなのです。
でも、足の指をケガして靴が履けないのでサンダル履きだったというのは本当なのです。^^

伊勢屋さんで「すまんじゅう」を購った後、寄居駅前に移動しての地元産品の直売所にて求めた藤崎總兵衛商店の冷たい甘酒「淡雪」と一緒に味わう。
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出発地島田屋旅館を出て2時間、距離約9km。
補給などまったく要らない距離と時間ですが、写真は87枚撮ったので指が疲れたのです。^^

まだつづく

参考:幸田露伴「知々夫紀行」  近藤信行編『山の旅明治・大正編』岩波文庫

参考までに地図を。

露伴がたどった道、または秩父往還と言うのではなく、あくまでも私のポタルートです。
posted by tomochan at 12:57| 埼玉 ☔| Comment(9) | TrackBack(0) | サイクリング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月25日

私的知々夫紀行(島田屋旅館跡から野上高砂橋)その1

18日の日曜日のことです。
8月の日曜日もこの日を含めて残り二日であると前日に気付き、急遽思い立って幸田露伴の『知々夫紀行』ポタの続きをすることにしました。
露伴が旅したのが八月の六日から十日にかけて。
どうせなら露伴と同じように今の暑い時期の方が気分も盛りあがるし、涼しくなってからでは熱も冷めてしまいそう。その前に忘れてしまう虞れの方が強い。

ということで当日の朝。
露伴に倣って<涼しき中にこそ>と朝の7時10分に深谷市田中の露伴が宿泊した島田屋旅館の前を出発。
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国道140号(旧道)を西に向かい50mすると右手に旧秩父往還が現れます。
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私が小学生の低学年の頃の道は右側の旧秩父往還で左側の道はなかったような。
いや、小学生ではなくて中学生だったかな。それとも高校生だったかな?(あぶない、歳がバレるところだった)

数百m進んだところで、また国道に戻り、見目の大木の下に。
樹齢は少なくとも百年以上はあると思われる大木なので、露伴も見上げたのかも。
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この下には現在は水道施設に利用されている湧き水が有り、旧秩父往還も「迅速測図」を見る限りこの下を通っていたようなのですが、時間がないので下に降りずに上からパチリ。
まだ朝早いというのに時間がないというのは、7時30分までに道の駅はなぞのに着かなくてはならないからなのです。明治の世と違い今の時代は時間に几帳面ですからね。
もっとも私などは今だに明治の感覚なのですが。

露伴も宿を出てから小前田までの間は田中の原、黒田の原というところを通過したとしか記してないので、こちらも小前田まで一気に行きます。といってもほんの数キロ、しかも小径車なのでそれなりにですが。

小前田までは旧秩父往還が残されている箇所もわずかながらあるのですが、急いでいたので国道140号を走って小前田の宿に入り長善寺の見えるところまで来て左折し、道の駅に。
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このあたりは国道140号(旧道)は秩父往還を利用しているのですね。

道の駅には銀輪乗士さんとZEROさんがすでにいらしていた。
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ただし、この日はお二人と行動を共にするわけではなく、ときがわ方面の祭りに行かれるお二人のお見送りに来たと言うわけなのです。
ところで、雨男と噂されるお二人がそろって祭りにお出かけということは、どこかの雨乞い祭りにでも招待されたのでしょうか?
いずれにしてもお二人は南の方に向かわれるので、とりあえず秩父方面の天気は安心と見た。

出発する奇行癖のあるお二人を見送りながら
「ああ、これで『痴恥夫奇行』にならずに済んだ」
と天気と同じように一安心するのでありました。
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お二人と別れて先ほどの小前田の長善寺へ。
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<路のほとりにやや大なる寺ありて、如何にやしけむ鐘楼はなく、山門に鐘を懸けたれば二人相見ておぼえず笑う。>
このあたりではそれほど珍しくもない鐘楼と山門が合体した鐘楼門も、露伴と連れの寒月子には珍しかったのだろうか、このように書いています。
この鐘楼門については長善寺のホームページに画像入りで紹介されています。
http://www.ksky.ne.jp/~chozenji/rohan/rohan.htm

左右の四角い石は鐘楼門の礎石だろうか。
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先ほどのZEROさんがこのお寺の関係者とお友達とのことなので後で聞いていただくことにしよう。

長善寺を出て小前田宿の中を旧秩父往還で西に向かいます。
小前田駅入口の交差点の先に旧秩父往還と旧鎌倉街道(枝道?)の分岐点があります。
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といっても風情も何もないところですが。
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ここを右に旧鎌倉街道に入ってすぐのところに諏訪神社があるのでちょっと寄り道。
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一昔前の祭礼の時には小前田宿中の秩父往還を三台の屋台が引き回され、それはそれは賑やかだったとか。
交通事情の変化で屋台の引き回しは一時期途絶えていたそうですが、数年前から復活したようです。
現在、屋台は道の駅はなぞのに展示されていると思います。

諏訪神社から秩父往還に戻り、小前田から寄居に向かいます。

寄居の手前、桜沢に小山のような塚があります。
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以前から一里塚だろうかと気になっていたのですが、今回初めて近くで見ることができました。
でも、期待していた一里塚ではなく富士塚でした。

50mほど先にも一里塚にも見えるような榎の大木があります。
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木の下には一里塚を示すようなものは何もなく、ネコ除け?のペットボトルが二本だけ。
こちらも一里塚ではなさそうですね。

鉄板葺きの屋根の細工。
鬼瓦ではないのだけど何と呼ぶのでしょう。
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今の職人さんも作れるだろうか?

しばらく旧秩父往還と国道140号(旧道)を兼ねた道を進んできましたが、岩崎の商店街の入口で旧秩父往還が現れます。
樋の下古道と呼ばれる道です。
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ここのY字路はなかなか風情があっていい感じです。
それに、良く見るとY字路なのに十字の看板などあっておもしろい。
Y字路好きにはたまらないのでコレクションに入れておきましょう。

この古道、入口付近に蛇越川という市街地とは思えない沢が流れていてとても涼しいのです。
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先に進むともっと涼しい場所が。

続く
(まだ出発して1時間30分なのに。でも写真は36枚撮ってます^^)
 
参考:幸田露伴「知々夫紀行」  近藤信行編『山の旅明治・大正編』岩波文庫
posted by tomochan at 16:26| 埼玉 ☔| Comment(8) | TrackBack(0) | サイクリング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月13日

私的知々夫紀行 熊谷から田中(その2)

大麻生の大榮神社で納涼を兼ねて、露伴の足跡など示すものはないかとしばし境内を探索した後、国道140号で西に向かいます。

深谷市に入る直前の熊谷市川原明戸でまた旧道が現れるので、入ることにします。
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畑の央に円形に並べたる石ありき。
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一見せしところ井戸ならむや。畑の央にあるがいとをかし。
というのは露伴ではなく私の感想。^^

小さな石の祠がある三叉路
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大事にされているのでしょう、いつも供えられている花のほか、布で編んだ草履がお供えしてありました。

その三叉路を過ぎると旧道は忽然と消え、水田地帯になってしまいます。
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水田地帯からは一等三角点のある三ヶ尻の観音山がすぐそこに見えます。
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水田地帯を横切り深谷市の瀬山のあたりで旧道が再び現れます。
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この後、旧道は秩父鉄道の明戸駅の近くで国道140号にぶつかり消滅。
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一旦、国道に出て踏切を渡り、明戸駅の南に向かいます。
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<明戸を出はずるる頃、小さき松山の行く手にありて、それにかかれる坂路の線(いと)の如くに翠の影の中に入れるさま、何の事はなけれど繕(つくろ)わぬ趣ありておもしろく見えければ、寒月子はこれを筆に写す。おとう坂というところとかや。>

連れの寒月子が筆に写したというので、私はカメラでパチリ。

露伴が描写したようには撮れませんが、これがその「おとう坂」
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なぜかセピアカラー。^^
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現在は松が広葉樹に変わりましたが、何となく当時の雰囲気も感じられなくもないです。

坂の上から
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おとう坂を上りきると旧道は国道の下をくぐり菅沼で再び国道に合流。
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来た道を振り返って撮影。

暑さに耐えかねた露伴一行は、菅沼で駄菓子屋を兼ねた鍜冶屋に寄り込み、お茶を飲み一休みしたとのこと。
菅沼というところは今ではそれほど人家もなく、かつて村だったような面影もなく閑散としている感じのところ。
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露伴が休んだ店など知る術もないので、こちらはコンビニでひと休み。
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ひと休みした後、いよいよ露伴の知々夫の旅の一日目の宿泊地へと向かいます。

菅沼からは現在の国道140号を走ることになります。

武川駅前の交差点で武川村道路元標を発見。
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道路元標は大正時代に作られたものが多いと言いますから、おそらく露伴はこれを見てないかもしれません。

深谷市田中の露伴の宿、島田屋に到着。
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<田中という村にて日暮れたれば、ここにただ一軒の旅舎(やど)島田屋というに宿る。間(あい)の宿(しゅく)とまでもいい難きところなれど、幸にして高からねど楼あり涼風を領すべく、美(うま)からねど酒あり微酔を買うべきに、まして膳の上には荒川の鮎(あゆ)を得たれば、小酌(しょうしゃく)に疲れを休めて快く眠る。>

露伴の宿、島田屋さんは現在は廃業して跡地は更地で夏草が生い茂るのみ。
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営業をしなくなってから久しいと思いますが、建物そのものは数年前まで残っていたと記憶しています。
ただし、露伴が書いているような楼はなかったと思うので、露伴が泊まったのはその前の建物かも。
現在は道路の反対側で老人介護施設を経営しているのかな。

ところで露伴が<美(うま)からねど酒あり>と書いた、酒の銘柄は何だったのでしょう。気になります。
川向こうに最近まであった造り酒屋のものかな。それとも・・・
まあ、味の好みは人それぞれですからね。^^

島田屋近くからの荒川方面の眺め。
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当時は荒川まで見通せて、涼風も吹き抜けたのかもしれませんが、現在はご覧のとおり人家が建ち並んでで荒川の展望など望むべくもありません。

この時、前方でゴーン、ゴーンと鐘の音が。
時計を見ると、いつの間に6時になっていたのでした。

それを知ったら急に腹が空いてきました。

「露伴」より「ご飯」、家に帰るとしましょう。

露伴に倣って鮎の塩焼きとかリクエストしておけば良かったなあ。^^

さっきのお寺の鐘の音は、すぐ近くの応正寺というお寺からのものでした。
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植松橋のから見る夕日
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露伴が旅した日は夕立の気配がしていたようなので、このような夕日は見なかったのかもしれませんが。


翌日、露伴一行は寄居を経て秩父へと向かうわけですが、私の方はこれにて一旦終了。
4時に熊谷を出て2時間。距離はまだ12kmですが。^^
続きは、暇を見つけて少しずつやりたいと思います。
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2012年08月12日

私的知々夫紀行 熊谷から田中(その1)

<八月六日、知々夫の郡へと心ざして立出ず。>
明治31年8月6日、うだるような暑さの東京を抜け出し、隅田川のほとりから<この川の出ずるところをも究めん>と、秩父へと向かったのは、かの幸田露伴。
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出典はいずれも近藤信行編『山の旅明治・大正編』岩波文庫
青空文庫でも読めます

月日は巡り百十有余年、同じように暑い時期の同じような時刻に、露伴の足跡をちょっとだけでもと自転車でたどってみたのでした。

露伴が熊谷に向けて汽車で上野を発ったのが午後2時。
当時の汽車でどれくらいの時間がかかったかわかりませんが、約2時間とすると熊谷駅着は午後4時。
その日、私は休日にもかかわらず朝から仕事で、終わったのが午後2時。
この時間から自転車活動と言っても中途半端なことになりそうだったので、ちょうど良いと言えばちょうど良いテーマだったのです。(露伴さんごめんなさい)

午後4時にJR高崎線熊谷駅に到着。
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この日のポタの相棒はビアンキのフレッタ君。
当時、熊谷から秩父までの鉄道は開通してなかったため、露伴は徒歩か馬車で旅したのでしょうが、いずれにしてもフレッタなら同じようなものでしょう。^^

熊谷駅前はあまりの暑さに空気もモヤっていた、のではなく天井からミストが噴出されているのですな。
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初めて体験しましたが、ここだけは涼しくて別天地のようでした。
すごいぞ、ミスト。

さて、<荒川近き賑わえる町>熊谷駅に降り立った露伴一行は、牛頭天王の祭りを翌日に控え、大通りではその準備の真っ最中だったとのことなので、駅前を北に進み現在の国道17号に出て西に向かうことに。
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ところで牛頭天王の祭りとは何かと調べたら、八坂神社の祭りだとか。と言うことはうちわ祭り?
この頃のうちわ祭りは8月7日に行われていたのでしょうか。
そのような情報は今のところ発見できていませんが、どうだったのでしょう。

さて、駅前の交差点から西に1kmほど進むと、猛暑の日には必ずと言って良いほどテレビに登場する八木橋百貨店前に到着します。
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この日はこれでもだいぶ気温は低め。熊谷市民の方が風邪をひかないか心配です。^^

ここの玄関、旧中山道の入口でもあるのです。
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店内を旧中山道が通り、売り場もそれに沿ったレイアウトになっているとか。
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それでは自転車で強行突破、と言うわけにも行かないのでぐるっと回って西側の玄関へ。
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ここから旧道は妻沼県道を横断し、反対側の一番街へとつながります。
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一番街が終わると道はまた国道17号に合流し、500mほどで石原の日産のディーラーのある交差点に。
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左折し50mほど行ったところ。
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<石原というところに至れば、左に折るる路ありて、そこに宝登山(ほどさん)道としるせる碑(いし)に対(むか)いあいて、秩父三峰(みつみね)道とのしるべの碑立てり>
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当初は東に50mほどのところに建てられていたのですが、近年この場所に移設された際に向かい合わせでなくて並べて建てられてしまったのでしょう。

この大きな道しるべの石碑を見て露伴は、東京から秩父へ向かう六つの大通りが存在する中で<正しき大路をとりたるかとおぼえて心嬉し>と記しています。
同行者にドヤ顔して見せた露伴の姿が目に浮かぶようです。^^

さてここからが中山道から荒川沿いに寄居を経て秩父に至る中山道通りの始まりです。

石原を過ぎ
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上越新幹線の高架をくぐり
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広瀬の不動尊のある辻に。
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ここは直進(四駆車の方)します。

旧道はマックのある交差点で国道140号を横断し、しばらく140号の北側を走り、また140号に合流し、大麻生の山王宮交差点近くのこちらで分岐するようです。
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実はここから先はこの冬、銀輪乗士さんに教えていただいて、ZEROさんと三人でポタった道なので、それをたどるに過ぎないのですが。

旧道沿いの用水路が涼しげ。
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<広瀬、大麻生、明戸などいえる村々が稲田桑圃の間を過ぎて行く>

国道140号(旧道)に合流し西に向かいますが、時々往時を偲ばせる雰囲気の場所も。
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最近は養蚕をする農家もないので、さすがに桑園は見あたりませんでした。

ここは右折して旧道に入り
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すぐ、また140号に戻り、今度は横断して反対側に。
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この間50mくらい。普通の自転車乗りでしたら、もうとっくに先に行っていますね。^^

大麻生の駅付近で十字路に。
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「左よりゐ道」とある道しるべにしたがって左に。
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大麻生駅前を右に曲がりしばらくするとまた国道140号に。
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大麻生の大榮神社の前でした。

こんもり繁ったいかにも涼しそうな鎮守の森。
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ここについての露伴の記述はありませんが、きっと休んだのだろうな。
ということにしてこちらも小休止。

つづく
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2012年08月07日

城峰ポタ

日曜日、久しぶりにk氏とポタに。
車でどこか涼しい場所にということも考えました、自転車をバラしたり、着替えを用意したりするのも面倒なので自走で行くことに。

涼しいうちに山の中に潜り込もうと8時前に集合して秩父方面に向かいます。
金尾峠は回避するつもりでしたが、k氏が行こうと言うのでいやいやながら従うことに。

思った通り、ちぎれてしまったのでした。
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(なお、この日の使用カメラは旧式のため、みんなこんな感じでブレブレですのでご容赦を。)

桜並木が作る日陰の道がありがたかった長瀞を抜け、皆野の金崎に。
国神に抜けるためにはちょっとした峠を越えなければならないのですが、暑いのでわずかな登りとは言え回避し、平坦な荒川沿いの遊歩道みたいな道を行くことに。
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途中、湧き水の鹿威しや蛇紋岩の露頭を見ながら進むうちにぶどう園にぶつかり、そこから県道に出ることができました。
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国神からは満願の湯を過ぎ日野沢方面に。
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日野沢川沿いの道は涼しく、傾斜も緩やかで快適、快適。
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秩父華厳の滝では「滝裏側観覧入口」の看板があったので行ってみることに。
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一般の観滝ルートが下に見えます。
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滝を裏から見られるものかと思って期待していたのですが、裏ではなく横からチラッと見るだけで残念なのでした。
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緩やかだった傾斜も、華厳の滝を過ぎる頃から急勾配に。
ただ、沢沿いで深い森の中の道は意外に涼しく気持ちが良かった。

森を抜けると門平の集落です。
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集落内は陽当たりが良く暑い。

急な畑でお年寄りが腰に木の葉っぱのようなものをつけて農作業をしています。
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日射病を防ぐ生活の知恵なのでしょうか。

門平や隣の立沢集落の虫送り行事を見てみたいものですが、お盆は忙しいのでなかなかチャンスがありません。
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その立沢集落手前の標高500mちょっとのピークにある天空の楽校で休憩。
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給食の天空のちまきとアイスコーヒーをいただきます。
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黒板が8月4日になってます。日直さん忘れてますよ。

補給で一息ついた後、立沢に向かい少し下ります。
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天空の楽校から2,3分で立沢集落に。
こちらではちまきではなく、天空のおやきが味わえるのですが、この時期は焼とうもろこしもあるみたいです。しかも地元産の限定品。^^
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でもなぜか、足が進まないのです。
作ってる人が天空の楽校と違って、おばあちゃんだからでは決してないのです。
けっこう下の方にあって、食べた後、また上ってくるのが面倒だからなのです。^^

そういう訳でおやきと焼きとうもろこしはパスして次に向かうことに。
後から、あの時おやきを買っておくべきだったと思うことになるのですが。

立沢の集落を抜けて行きます。
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けっこう人家が多くてビックリ。

立沢の集落が終わるといよいよ、城峰山への登りのはじまりです。
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10%くらいの勾配の道が延々と続きます。
湧き水で顔を洗い、ユリを見てはパチリ。
そのうちになんでもなくても止まってパチリ。
止まってから言い訳を考えるのです。
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何とか無事に峠付近までたどり着いたようです。
ご褒美の秩父の景色が最高でした。
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標高約950mの石間峠。
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標高1037mの城峰山頂はすぐそこ。

さて、何とかこの日の最高地点に到着したわけですが、この後どうするかと言うと、最初の計画ではすぐに下界に降りないで、土坂峠方面もしくは皆野方面の涼しい尾根道を走ろうと目論んでいたのです。
でも、ボトルの水は空っぽ、お昼の時間はとっくに過ぎているのに食べ物もない。

と言うことで太田部経由で神流湖に降りることに。
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太田部では久しぶりにムツばあさんの家に。
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夏は訪れる人もすくないのか、閑散としていましたが、空の青さが印象的なのでした。
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太田部の手前あたりから気温の上昇が感じられるようになり、下に着いた頃はものすごい熱気。
陽当たりの良い国号462は避けて神流川の右岸の涼しい道で帰ろうと思いましたがあいにく通行止め。
起点にある湧き水で顔を洗った後、やむを得ず国道462に。
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山の南側の斜面に面した国道は予想どおり酷道の様相を呈しておりました。
とにかく暑い!
特にコンクリートの擁壁の前。
このあたりの国道462は改修工事がどんどん進められているので、これからますます暑くなるのでは。

道の駅おにしのあい向かいにある蕎麦屋で遅い昼食。
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鬼石から神流橋を渡り埼玉に入ったところの温度計。
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35℃!
山もあるし、川もすぐ近くなのにこの気温。

ここから家までは普段ならノンストップですがこの日は2回も休憩。
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ミニストップのハロハロが美味かった。

帰ったら二人で呑みに行くつもりでしたが、何となく疲れて取りやめに。
夏のポタは疲れます。

90km

posted by tomochan at 20:32| 埼玉 ☔| Comment(11) | TrackBack(0) | サイクリング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月26日

秩父界隈花追いポタ夏号 その3嬲谷で昇天寸前?

男女男の地に向かう前に秩父鉄道三峰口駅に。
奇祭に圧倒され、貧血を起こしそうなので鉄分補給です。^^

運良くSLが出発するところだったので白久駅近くまで移動してパチリ。
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ケータイで撮ったらまるで絵のようになってしまいました。^^
画質が最低になっていたみたいです。

白久からは県道43で柴原鉱泉を経て小鹿野町長留へ。

途中の知人宅の前でパチリ。
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Sさん、コンクリート製の鶴、拝見しましたよー。

長若中学校の交差点を左折してしばらく行ったあたりが男女男谷のはず。
それを示すものはないかとジロジロ。
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男女男谷?失礼しました。
ケータイでは変換出来なくてこのようにな字になってしまいますが、PCはちゃんと変換出来るのでした。
嬲谷(なぶりや)という地名のことなのです。

国土地理院の地形図はこちら。↓
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=139.01616666689&latitude=35.99413422919

すごい地名でしょう。^^
私も初めて見た時は、その漢字にびっくりしたものでした。

結局、地名を現すものが何も見つからなかったので、嬲谷の奥にある文殊峠の金精神社に行ってみることに。
銀輪さんは金精信仰にも興味がおありなのです。^^

文殊峠は般若の丘から続く山の一角なので、たいしたことないだろうと甘く見ていたのですが、それは大間違いでした。

湿っぽくてところどころ苔の生えた急坂を4kmも上ったので、涼しい日だったとはいえ、汗はダラダラ、息はゼイ、ゼイ。
男女男でなくて男男なのに嬲られたような気分。^^
イノシシの親子なんかも出て来た時は本当に嬲られるかと思いました。

息も絶え絶えとなって、なんとか標高約540mの文殊峠に到着。
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ちなみに嬲谷の隣の地名は聖天。
危うく嬲谷で昇天するところでした。^^

道の右に見えるのが金精神社
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覗いて見ると・・・
何と社の中にもうひとつ社があり、扉が閉まって中は見えなかったのです。
こうなりゃ、次は日光、金精峠か?(冗談です)

峠の小高いピークに上れば360度の大展望。
晴れていれば両神山も指呼の間に望めるはずなのですが。
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寒さに震えながら峠から伊豆沢集落へと下り、小鹿野の街へ。
小鹿野からはようばけ〜太田〜皆野の街から長瀞へ。

長瀞では銀輪さんに大ワラジの場所を教えていただいた。
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自転車では通らない国道の脇だったので気づかなかったのですね。

疫病神がかわいい。^^
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その後、野上のセブンでこの日昼食以外の初補給。(お目当ての店が休みだったのです。なんか先週もこんなだったような^^)

その後、岡部方面の祭りの研究に向かわれる銀輪さん(サンバがどうしたとかとおっしゃっていた)と小前田でお別れして帰宅。

102km

今回の迷走の記録はこちら↓

posted by tomochan at 21:21| 埼玉 ☔| Comment(8) | TrackBack(0) | サイクリング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月25日

秩父界隈花追いポタ夏号 その2 男たちの華園

「そば処和味」で食事を済ませた後は銀輪さんの案内で白久方面に移動。
さてさて、今度はどんな花が待っているのでしょう。

R140を大滝方面に向かい、贄川を過ぎ、荒川郵便局手前の熊野神社という小さな神社の前に到着。
国道脇の急な石段を上るとそこには


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まさに男の華が咲き誇っていたのでありました。^^
それにしても下帯姿の男たちに囲まれた銀輪さん、すっかり周りに溶け込んで違和感ないです。^^

長瀞の真性寺にあった「たくましいので七草に入らない」という男郎花とはこのことだったのか?
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「いやーん、黄色いお兄さん。ジロジロ見ないでよー。それよか甘酒かけ、一緒にやりません?」
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と言われたかどうかは不明です。^^

そうです。実はここ、猪鼻の甘酒こぼし(猪鼻の甘酒祭り)という一風変わった祭りの会場だったのです。
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大桶に入れられた甘酒を無病息災を願って下帯姿の男たちが掛け合う奇祭なのだそうです。

神事の後、甘酒を水で薄めるところから甘酒こぼしは始まります。
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と、そこまでは皆さん大人しくやっていますが、どこかでスイッチが入るとこのとおり。
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危うし!、黄色いお兄さん。
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私も最初は銀輪さんと同じ「かぶりつき」にいたのですが、危険を察知して高い安全なところに避難していたのでした。何しろあの甘酒、祭りの関係者は今年も美味しくできたとおっしゃってましたが、香りの強烈なこと、強烈なこと。
ギンナンでも踏んだのかと思いました。水ならまだしも、アレをかけられてはと移動したのでした。^^

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途中からカメラのバッテリーが切れてしまい、ケータイカメラでの撮影です。
この様子は当日の夜と翌朝のNHKのニュースでも取り上げられたのでご覧になった方もいらっしゃるかも。
私も翌朝偶然見ることができましたが、あの黄色いお兄さん、しっかり3カットも写ってました。^^

甘酒こぼしの後、甘酒が石段を川のように流れて行きます。
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ひざまずいて漢たちを見送る銀輪さん。
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来年のデビューは間違いない?^^

いやー、それにしてもすごい祭りだったなあ。
観光化されてないから余計に良く感じたのかも知れませんね。

男、男、男の饗宴の地を後にして二人は男女男のあの地へと向かうのです。

続く

posted by tomochan at 19:42| 埼玉 ☔| Comment(8) | TrackBack(0) | サイクリング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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