2020年07月24日

鎌倉街道探索ウォーク 高崎市街地編その2

鎌倉街道の北の出発点である高崎の市街地に残された鎌倉街道の痕跡を、歩いて探すという企ての続きです。

2回にわたって書くほど内容の濃い探索ウォーキングだったというわけではなく、ただ単に、今回初めて採用したグーグルマップに情報載せる情報量の増やし方がわからないからなのであります。

さて、前回から私は、塩澤裕著「鎌倉街道平成に歩く」(さきたま出版会発行)に紹介されていたコースで、鎌倉街道そのものかどうかは不明ですが、それに極めて近いところを走っていることだけは確からしい、どことなく趣のある小道を進んでいます。

ポイント10(以下各ポイント番号はグーグルマップのコース上のマーカーに対応しております)
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烏川の河岸段丘の崖の上にある道のため、大変眺めがよいです。

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埼玉県内もそうですが、鎌倉街道の跡といわれるところは、他に低地がある場合でも、高台もしくは丘陵上に多く存在することが多いように感じられます。

現代人の感覚からすると、わざわざ高いところに道を造らなくとも、低いところに造った方が効率的ではないかと思ってしまいますが、川の水が増えたときなどは、それから逃れる術を持ち合わせていなかった昔の人は、避けることしかできなかったのでしょう。
昨今、各地で発生する水害などを見ると、そういった昔の人の考えなども、もっと参考にしてもよいのではとも思うのですが。


ポイント11
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いよいよ道が狭くなって、徒歩で来たことが正解と思われるようになってきました。
こんなに狭いのでは、自転車で通るのもちょっと気が引けます。


ポイント12
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下和田二丁目で車が通れる道に出ました。
ちなみに高崎の古い地名は和田だそうです。
高崎はこういう古い地名が比較的よく残っているのだとか。




ポイント13
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国道17号にかかる橋を越えるとすぐにあった上信電鉄の踏切です。

写真ではよくわかりませんが、踏切を渡り終えると正面の植え込みの中に石碑が建てられていました。
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碑文を読むと、場所ははっきり特定されてはいないようですが、この辺りを鎌倉街道が通っていたことは確かなようです。
それにしても、今は国道と線路と、近くには新幹線も走っているという、大変なにぎやかなところでありました。

歩行者専用道路をしばらく進むと、神社とお寺がある場所に出ました。
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神社は琴平神社といい、狛犬の代わりに天狗と烏天狗がすっくと立っていました。


ポイント14
神社からは車道になり、新幹線の高架をくぐり、100mほど行ったところにあった道しるべと馬頭尊
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オリジナルの石の道しるべは風化してしまって何と書いてるかわかりませんが、新しく作った木の方の道しるべには「ち〃ぶ」の文字がありました。
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江戸時代以降に造られたとのことですが、古道の雰囲気が感じられてなかなか良いものです。

この先で、少し広い道路に合流。
その道は、前述の本でも、また別の鎌倉街道探索本でも、鎌倉街道として取り上げられていた道です。

でもここからがちょっと大変でした。


ポイント15
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鎌倉街道跡といってもご覧のような住宅街。
日も高くなって建物の影はほとんどなくなり、日陰を作るような木も全くと言って見あたらず、電柱の陰でさえありがたく感じられるような状況になってきました。

それでもなんとか見覚えのある場所に到着。

ポイント16
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いつの間にか佐野地区に足を踏み入れていて、佐野橋への分岐までやって来ていたのでした。

分岐の脇にある佐野の船橋歌碑
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この近くにある現在の佐野橋あたりに、船をつないで橋にした舟橋があったということです。
鎌倉街道が烏川を渡る地点は、この辺りに数か所あったようで、佐野の舟橋もその一つということです。

今回渡るつもりの佐野橋は、後回しにして、先に常世神社に寄ってみることにしました。

ポイント17
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常世神社です。
「いざ鎌倉」の見本のような武士、佐野源左衛門常世が謀略にひっかかり領地を追われ、当地に逃れて来た際の居宅跡に建立された神社ということです。

では、常世様にご挨拶。
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厳重ではないにしても、しっかりと閉ざされた扉を開けます。
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初めての時は、扉を開けるのに少し緊張しましたが、今回で3回目なので余裕です。
とはいうものの、とんでもないものが出てきたりしたらどうしようと思うと、びびりーな私はやはりちょっぴり緊張します。


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良かった、いつのも常世様だ。

大雪の中、寒さに震える旅の修行僧に暖まってもらう焚き木にするために、大切にしていた鉢の木(盆栽)を切るシーンですね。
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その旅の修行僧というのが、姿を変えて諸国を廻っている北条時頼で「どんなに困窮していても『いざ鎌倉』の備えに怠りはない」との常世の姿勢に感銘を受けた時頼は、後に再会した際、失われた領地を与えて報奨したというお話です。

この話は有名な謡曲にもなっているのだそうですが、その方面に縁がない私は、子供のころ何かで読んだことを覚えています。
戦前には小学校の教科書にも載っていたそうですが、私が読んだのは教科書ではなくて、少年サンデーかマガジンだったことだけはハッキリ申し上げておきます。(ジャンプの名前が出ないあたりは怪しい)

ともかくも、本日でいちばん鎌倉街道、鎌倉時代に近づいた時間でした。


さて、常世神社をあとにして、佐野橋を渡って対岸の根小屋方面に向かうとします。

ポイント18
佐野橋
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なんと通行止め。

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もうほとんど完成しているように見えますが、とにかく工事中で渡れませんでした。

通行止めの件は、なんとなくどこかで聞いたことがあったような気もするのですが、もう何年も前のことのような気がして、まさかまだ渡れないとは思ってもいませんでした。


鎌倉街道としては、ここで烏川を渡らない場合、川に沿って下流に向かい、現在の一本松橋あたりで渡り、山名の手前に至るルートもあったそうです。


そちらに向かうことも考えましたが、地図で見ると新幹線の側道のような直線の道がずっと続く、単調な行程のように思えるので、やめました。

本当のところ、あまりにも暑くて、音を上げてしまったというところだったのですが。

「いざ鎌倉」が笑います。

佐野橋で途方に暮れていると、運よく上信電鉄の高崎行き列車がやって来ました。
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そうだ、あれに乗って帰ろう。

と言うことで、すぐ近くの佐野のわたし駅から電車で帰ることにしました。

鎌倉街道は逃げないから


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高崎駅で清算するともらえる「佐野のわたしから高崎ゆき」の切符、記念に持ち帰りたかったのですが、回収されてしまいました。


帰りに、以前から気になっていた高崎駅の駅ソバを食べました。
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何十年かぶりに駅のホームの立ち食いソバを食べましたが、疲れた体にしょっぱいおつゆが染みるようで、とてもうまく感じました。



posted by tomochan at 11:58| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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