2014年10月03日

白鳥尋常高等小学校登校ポタ3

白鳥尋常高等小学校の跡地はまったく目立たないところにひっそりとあった。
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人家と畑が混在した何の変哲もないところで、だいたいの場所を聞いてきたからわかったようなものの、そうでなければ完全に見過ごしていたに違いない。

ここにも八木橋宏次郎氏による今はなき母校を偲ぶ詩が刻まれた碑があった。
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金尾分教場のものと内容は同じであるが、どういうわけか書体や漢字とひらがなの使い分けなどが微妙に違う。やはり本校のものには力を入れたのだろうか。

別の石碑には、この跡地を整備するにあたり寄付をした卒業生の名前がズラッと彫られていた。
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母や伯父、叔母の名前もあるのかと探してみたところ、石碑の表でなく裏面に兄姉まとめて刻まれてあった。
寄付金の額が一番下のクラスだったので表でなく裏側の、しかも一番後ろの方にまわされたらしい。
まったく兄姉そろってしっかりしている。

記念碑を見た後、何か学校があった形跡のようなものでもないかと周囲を回ってみたが、まったく何も残っておらず徒労に終わった。
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私の卒業した中学校も場所を移転したため、当時の校舎はなくなってしまったのだが、それでもまだ石垣や土手などは公園の一部として残っているのである程度昔の面影を残している。
それに引き替え、こちらの学校はほとんど跡形もなくなってしまって、卒業生は寂しい思いをしたに違いない。

さて、金尾からここまでどれくらいの距離だったのかとサイコンで確認すると6.5kmだった。
迷い道や寄り道をしているので、正味6kmくらいだろうか。そのうちの山道は3分の1ほどで残りは平地であるが、当時の道路状況を思えば大変な距離だ。
いや、いや、まだ感心している場合ではない。帰りがあるのだ。

学校跡から長瀞方面に数百mも行けば岩根山の入り口なので、そこから葉原峠を越えて風布経由で金尾へという案が一瞬脳裏に浮かんだが、学校帰りに寄り道をしてはいけないと思い、やめた。
正直なところ、小径車で葉原峠越えはきついと思っただけなのだが。

ということで、来た道を素直に帰ることにしたが、それが正解だったようで、来るときには気づかなかった発見も。

岩田にて「地名起源岩田の大石」という案内板を発見。
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来たとき寄った道光寺の方角と見間違ってそちらに行ってしまった。
道光寺の門の前に着いたら、住職と思われる方がちょうど帰って行く観光バスに手を振っていらっしゃったので、それが終わるのを待って大岩の場所について訪ねてみた。
「あー、それなら病院の先のてんのう様の先だよ」と教えて下さった。
ということは、通り過ぎてしまったようなので、とりあえず病院とてんのう様を目指して戻ることにした。

大きい病院なのでそれはすぐにわかったが、てんのう様は見つかるだろうか。
心配をよそに、てんのう様は病院のすぐ横で簡単に見つけることができた。
もっと大きい神社かと思っていたが、意外と小さな社だった。
でも、なかなか風情があるところだった。
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すぐ近くには大岩の案内板があった。
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遠くに大岩が見えたのでもっとよく見えるところまで行ってみた。
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なるほどねえ、この大岩の上で男女の神様が「行く、行かない」でもめたわけだ。

「もうすぐ秩父なのに本当に行かないの。女神ちゃんが行かないなら、僕一人でお祭りに行っちゃうよ」
「ダメよー、ダメダメ」
「あー、もしもし、秩父の岩田ちゅうところで女神ちゃん1号が動かんようになってしまったんよ。急いで女神ちゃん2号と取り替えて欲しいんやけど」
「ダメよー、ダメダメ」

こんな馬鹿なことを考えていると暗くなってしまう。
先を急がなければ。

岩田を抜けていよいよ金尾峠にさしかかる。
長瀞側からの金尾峠への道は直線のだらだら上りの嫌らしい坂だ。
だいぶ登ってそろそろ休む口実はないかとあたりを探し始めた頃、本当にそれがあった。
ちょっと通り過ぎたのでUターン。
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へたれ自転車乗り用のサインボードだ。
利用法の一例
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この人は坂が辛くて「死ぬー」「無理ー」と言いたかったようだ。

噂に聞くサイコロのふせぎを初めて見た。
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「ウチの村にはこんな大きなサイコロを使う大男がいるのだぞ」とか
「ウチの村の男衆はサイコロばくちがめっぽう強いから、負けて身ぐるみはがされるなよ」
そうやって疫病神を追い払おうとしているのか。

帰って調べたら、一つ目から六つ目までの怪物がいるので入ってくるなと言う意味と、疫病神がいくら数えても始まりと終わりがわからなくてあきらめて退散するという意味があるらしい。
なお、金尾地区の防ぎ吊りの行事は10月に行われるの秋祭りの際に行われるのだとか。
ということは、もう間もなくこのふせぎも新しいものに交換されるわけだ。

金尾峠の頂上にさしかかろうとしたとき、またしても蒸気機関車の汽笛が聞こえた。
急いで荒川の対岸の矢那瀬地区が見渡せる場所まで上りSLを探した。
何とか間に合って、一枚だけ撮れた。
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あれ、客車だけで肝心の機関車が写ってない。

先回りしてもう一枚撮ろう。
金尾峠を越えて伝蔵院の下まで下って見えそうなところを探したが、やはりSLは見えなかった。
前の週と同じく、遠くで汽笛を聞いただけだった。
そういうわけで帰り道は金尾峠を素通りして、出発地の金尾分教場の跡地に着いてしまった。

これで白鳥尋常高等小学校の金尾分教場から白鳥尋常高等小学校の本校までの通学路ポタは終了したのだが、片道約6km、往復で12km、自分は自転車だったけれど、金尾峠を越えて徒歩で通学した母の苦労は大変なものだったろうなとしみじみ思った。

「それよりも、たった12kmのことを3日もかけて書き綴ったお前の苦労も相当なものだよ」
遠い空の上から母が褒めてくれているような気がした。

終わり


posted by tomochan at 19:56| 埼玉 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | ご近所ポタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
連日、記録読ませていただきました。白鳥村ってきれいな名前ですね。どうしてこの名前に決まったんだろう?とか思っちゃいました。道路元標もあって、そのうち行ってみようと思いました。どちらから行っても自転車では金尾峠が越えられそうもありませんけど・・・(^^;
Posted by Yomotan at 2014年10月03日 22:01
Yomotanさん
連日、お疲れ様です。^^
白鳥村という村名については明治22年の合併の際、風布村が希望した「白萱村」が受け容れられず、中世の白鳥庄藤田郷からとった「白鳥村」が採用されたとありました。当時すでに藤田村は現在の寄居町にありましたから白鳥村にしたのでしょうか。現在の感覚からするとかえって藤田村より白鳥村の方が良いですね。
金尾峠は旧道と現在の新道との間にある道(舗装)をたどれば誰もいませんから堂々と押して歩けます。(自分も時々してます^^)
途中の伝蔵院や振り返って眺める金尾や末野の風景も良いものです。
Posted by tomochan at 2014年10月04日 09:17
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