2014年10月01日

白鳥尋常高等小学校登校ポタ2

藪に行く手を阻まれてあっさりと断念した旧金尾峠の探索。
我慢強いはずではなかったのか言われそうであるが、今回ばかりは先を急ぐので勇気ある撤退と言うことにしておく。

新金尾峠から快適な舗装道路を下って行くこと数百mで県道の道路管理境界に至る。
ここが大里郡と秩父郡の境というわけだ。
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金尾峠が境ではないのだ。

更に下って行くとほぼ直線の新道に対して直角近い角度で交わる道がある。
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写真前方に伸びているのが旧道で、山ひだに沿うように走っていた曲がりくねった道の一部分が残っている。


旧道
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これでも広くなった方で、昭和初期のころは人馬がやっと通れるほどの道幅であったに違いない。

ところでこのあたりは岩田の下栗という場所で、岩田の三軒家(屋)と言われている場所である。
母からも叔母からも聞かされていて、名前の響きが良いので覚えていたのだが、ちょうど良い機会なので行ってみることにした。

県道から見ると人家など全くありそうにも見えないのだが、直線距離で100m位、高さにして10m位登ると確かにその名の通り個数三戸だけの集落があった。
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わらぶき屋根をそのまま金属で覆ったような屋根の家が良い雰囲気を醸し出していた。
このような場所に部外者がいつまでもいるのも気が引けるので早々に退散して次に向かうことにした。

荒川もここまでさかのぼると、玉淀ダムの影響もなくなって水もとうとうと流れている。
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明治時代の地図を見ると昔の道は坂を下りきったあたりで現在の道から大きく左にそれて山裾に沿ってあったようなので行ってみる。
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しかし、すぐに道は途切れてしまい、高いところから見ても道らしきものの存在は確認できなかった。
叔母から湧き水が出ていたと聞いていたのに残念である。

尾花の寺の道光寺
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ちょうど秋の七草のシーズンなので観光バスなどやって来て結構なにぎわいだった。
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ついこの間まで水羊羹の幟が立てられていたというので、買おうと思い門の中を覗いてみたが、水羊羹は栗に変わってしまったようだった。またまた残念なり。

白鳥橋への入り口を過ぎ、しばらく行くと道の脇に二十二夜塔があった。
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このあたりの風習であろうか、生まれた子の名前を書いた白旗がいくつか掲げられている。
こういう風習は良いものである。
知らない子でもつい健やかに育って欲しいと思ってしまう。
「リュウノシン君、がんばれ」
いや待てよ、「竜ノ心」と書いてブルース、あるいはゴクウ、はたまたシェンロンとか読ませるのではないだろうね。
今時の子供の名前はわからないからな。

白鳥神社に着いた。
ここに神社があることは知っていたが、止まって見るのは初めてだ。
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神社の境内に白鳥村道路元標があった。
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そういえば叔母が神社の近くに昔の白鳥村役場があって、父親がそこで働いていたと話していたことを思い出した。
道路元標があると言うことはきっとこのあたりが村の中心だったと言うことだろう。
県道の反対側に集会所があったので、おそらくそこが村役場があった場所だったのかもしれない。
ということは、私の祖父もここまで通っていたと言うわけだ。
しかし、周囲は人家もまばらで役場があった場所にしては寂しいところだ。

かつての村の中心部に入ってきたので、白鳥尋常高等小学校の跡地もまもなくだと思うと、否が応でも気合いが入る。
しかし、気合いが入りすぎて、見過ごしてしまうのではないかと言うくらい地味なところにそれはあった。

この記事、ポタより数倍疲れるので今日はこのくらいにしておく。
続く


posted by tomochan at 20:27| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ご近所ポタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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