2011年02月06日

寄居〜熊谷荒川右岸ポタ 中編になるかも

県道熊谷・寄居線に出たあたりからやっと昨日の実際のポタの内容になります。
これから熊谷市の荒川大橋まで荒川右岸をなるべく車の通らない静かな道を選んで行くつもりですが、そうなると勢いくねくねした道が多くなるし、道幅も狭く、住民の皆さんの生活道路を通らせていただくことになりますので、スピードをあげての走行は出来ません。
急ぐ方や、トレーニングの方は県道を利用された方がいいでしょうね。
それから、写真ですが、ISOをうっかり800にしたままとり続けていたので、見苦しい点もお断りしておきます。あまりにもいい天気だったのでモニターでは全然分かりませんでした。

さて、県道に出てから熊谷方面に向かい、先ほど下をくぐった東上線を今度は小さな陸橋で上を跨ぎます。
その陸橋を降りる途中の左側に昌国寺という寺があります。出発したばっかりですがちょっと寄ってみます。
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中学校の時の英語の先生のお宅です。
水野長勝の陣屋跡でもあるそうです。
誰、それ。って私も思っていましたが、水野長勝と言う人は何と徳川家康の従兄弟で夫人は森蘭丸の姉だそうです。徳川家康の従兄弟でもありながら、鉢形城主の北条家に仕え、織田信長の近習の森蘭丸の姉を妻としたというよくわからない人です。(勉強不足の私がわからないだけかもしれませんが)

看板も錆てしまってますが、その水野一族のお墓があるそうです。
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境内のはずれにある樹齢約400年と言われる町指定の天然記念物高野槙(コウヤマキ)
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先日小川町の栗坪では「福島家のマキ」(略して福島マキ)を見ましたが、こちらは水野長勝の陣屋跡にあるので「水野家のマキ」(略して水野マキ) あれ、どこかで聞いた名前?

まだ、出たばっかりなのでゆっくりもしてられません。次ぎに向かわなくては。

昌国寺を出たら県道を次の信号まで数百mほど進みます。

ここを左折。
RIMG3564.jpg
100mほど行くと寄居七福神のひとつ、常楽寺もあるのですが、お寺があるたびに寄っていたのではいつまでたっても熊谷には着かないので今回はスルーします。常楽寺の道の反対側にやはり町の天然記念物である椿の大木があるのですが、そこにはちょっと行ってみたところ、まだ全然咲いていませんでした。
さて、常楽寺を過ぎると、先ほど登った荒川の河岸段丘を、今度は一気に河川敷のレベルまで急降下します。
ただし、この道は砂利を運ぶダンプの通り道なので浮き砂利がたくさんあります。特に下の方は要注意。スピードの出し過ぎは禁物です。

下りきったところが旧花園橋があった場所。
ここからは荒川の自然堤防の上の道路を走ります。
現在の花園橋。
RIMG3567.jpg

さらに進みます。
RIMG3570.jpg
先日も朝ポタで訪れた川越岩。鎌倉街道の渡河地点の目印だったそうです。
遠くに見えるのは関越高速の橋。
昔は歩いて渡った荒川も今は車であっという間に渡ってしまいます。

鎌倉古街道の表示
RIMG3574.jpg
関越も土曜日の朝なので渋滞中。今時の渡河もあっという間でもなさそうです。ニヤリ。

さてこのあたりから、深谷市に入ります。
深谷市と言えば、昨日のアド街深谷編を見ましたが、こちらの方はまったく触れられてませんでしたね。まあ、部外者から見れば、そっとしておいてもらった方が静かでいいですけどね。

今までの道をここまで進みます。
RIMG3812.jpg
先ほど通った県道に合流する寸前を白い車の方に左折します。

左折して数百mで地元のヒーロー畠山重忠公史跡公園に到着です。トイレもあります。
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畠山重忠が放り投げたと言う石
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普通っぽいです。(^^)

一ノ谷の戦の鵯越で愛馬をいたわり背負う畠山重忠
RIMG3580.jpg
今の世なら、さしずめ道がなくなり愛車を背負う自転車乗りと言ったところでしょうか。
(と、この時点では呑気なことを考えていた私ですが、この後実際に自分が自転車を担ぐことになろうとは)

公園内には重忠の墓と言われる五輪塔などもありますが、今日はパス。

次に向かいます。
公園の信号を来た道から見て左折します。
数百mで荒川にかかる重忠橋に出ます。
RIMG3585.jpg
ここは六堰頭首工と言って農業用水を取水し熊谷地方の水田に送るための堰で、2004年に新しくなってから道路として通行できるようになりました。この道はいつも空いているので私も日頃からよく利用しています。

今日はここを渡らずに堤防上を下流に進みます。
100mほど下流に行くと「鶯の瀬」と言うところに出ます。トイレあります。
RIMG3590.jpg
鶯色の石碑と鶯色みたいな自転車。

その昔、畠山重忠が大雨で増水した荒川を渡るに渡れなくなって困っていたところ、鶯が来て浅瀬を教えてくれたいう言い伝えが残っているそうです。

今は、鶯ならぬ白鳥がたくさんいました。
RIMG3587.jpg

鶯の瀬に隣接する井椋神社の境内をそろりそろりと通らせてもらって神社の南の道路に出ました。
また、荒川に沿って下流に向かいます。
また数百m行くと水神様のところに出ました。先ほどから数百m行っては止まってばかりです。(^^)
RIMG3597.jpg

このあたりは最近集合住宅が増えたせいなのか、水神様の他にも二十三夜塔、庚申塔、馬頭尊、石仏と各種神様仏様が一ケ所に集合されているのでありました。
RIMG3607.jpg

ここで写真を撮っていたら後ろの藪からメジロが現れました。何かを教えてくれるのかな?
RIMG3600.jpg
慌てて撮ったのでピンボケになってしまいました。

さて、先を急ぎます。このペースだと上下のつもりが中編が出来てしまうかも。

上松橋に出たら荒川の河川敷に一旦降りて、橋の下をくぐりまた上に出られます。(舗装)
旧川本高校(現在特別支援学校に改築工事中)の裏を過ぎ数百mで深谷市本田の看板のあるところにやって来ました。
RIMG3613.jpg
ここにもきれいなトイレがあります。

さらに数百m(ほんとに数百mばっかり)進むと「俵薬師」と言うお堂がありました。
RIMG3617.jpg
つい最近まで、古いだけのお堂があったのですが、いつの間にかきれいになっていたのでびっくり。
案内板を読んで由緒あるお寺なので更にびっくり。
それによると平将門を討伐に向かう途中、この地を通りかかった俵藤太秀郷が自軍の病魔退散のためにここに薬師如来を祀ったところ病気が平癒したのだとか。
そういえば昔読んだ「平将門」に出てました、俵藤太秀郷。藤原俵太秀郷とも言ったかな。

更にまた同距離(違う言い方にしました)を下流方向に進むと江戸時代の有名な数学者関孝和の高弟であったという藤田雄山の生家に出ました。
RIMG3631.jpg
案内板はおよそ生家らしくないところ(ゴミ集積所)に立っていますが、おそらく奥の家でしょうね。
関孝和の高弟といえば、美里町の真東寺の近くにも関算術の碑がありました。
埼玉県北部は算術に秀でた人が多かったのでしょうか。

さてこの次の目的地は、久しぶりに1qほどの移動になりますので(それでも近い)、やはり今日のところは中編として区切って、残りは後日に廻したいと思います。

ほんの20kmくらいのところを良くここまで引っ張れるものだと自分でも思いますが、次回は必ず荒川大橋に到着しますのでもう少しのおつき合いをお願いします。



posted by tomochan at 18:29| 埼玉 ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | 勝手に観光協会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
鎌倉古街道の写真、これから6時間後位のを4日後にアップ予定であります。
拙は、ここから県道をヨタヨタ走りましたが時間あれば断然川沿いですね。
Posted by 銀輪乗士 at 2011年02月06日 19:24
私も同日の数時間後に川越岩の所通りましたよ!
寄居〜熊谷間はCRが無いですが、のどかな良い道がありますね^^
Posted by ZERO at 2011年02月06日 21:36
銀輪乗士さん
その記事、楽しみです。
暑い時期は、逆に河岸段丘の下の道も日陰が多く水路もあったりして、涼しくて良いですよ。

ZEROさん
なんと、銀輪乗士さんに続いてZEROさんまでも同じ日にあそこを通られたのですね。どこかのうどん屋さんあたりに出店計画を持ちかけようかな。
今回は秩父鉱業を回避することができましたね。
Posted by tomochan at 2011年02月06日 22:25
見慣れた道もこうして見ると「裏アド街」の様に見えて関心しました。
Posted by のっぽ at 2011年02月06日 22:59
のっぽさん
いいことおっしゃいますね。
それ、いただきます。
「裏道ック天国」
Posted by tomochan at 2011年02月07日 08:36
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