2020年07月26日

夏の夜は湯あがり娘にみどりとアイコ

ここのところ毎晩のようにボン キュッ ボンでプリップリッの湯あがり娘を楽しんでおります。

本当はボン キュッ ボン キュッ ボンが理想的な形なのでしょうが、ボン キュッ ボンが多いのです。

なかにはボンだけなんていうのも交じってたりしますが、それはそれで楽しめるのです。

他にも、さつきみどりやアイコなども夏の夜には欠かせないものとなっておりますが、とりあえず、最初は湯あがり娘なのです。


湯あがり娘
006.jpg
一つのさやに3粒入ったきれいな形のものは少ないのですが、とりたて、茹でたての湯あがり娘は、お店で買った枝豆とは別物のようです。
特に冷凍ものとは比較になりません。
生産者(大げさな)だからこそ味わえる至福の時です。


5月6日に種をまきました。
002.jpg


湯あがり娘は見かけによらず力持ち
005.jpg
重い土の塊も力を合わせて エイ、やあ


その後キジにも食べられず約70日、形は悪いけど立派に育ってくれました。
001.jpg

今年は、播種前の畑に溶リンを施したのが功を奏したのか、これでも例年より出来が良かった方です。


それから、冒頭のさつきみどりとアイコ
これらも、ビールのお供に欠かせません。

それにしても、野菜の種ってどうして女性の名前のようなものが多いんでしょうか。
008.jpg

007.jpg

「さつきみどり2号」ってことは1号があったんでしょうね。
1号の時点でよく五月みどりさん側からクレームが来なかったですね。
2号になったら更に苦情が来そうなものですが。

そういえば、以前、乗用草刈機に「草刈りまさお」というのがあったのですが、現在は違う名前になっているようです。
どうでもよいことですが。

ジロジロファームのブルーベリーが色を付け
IMG_20200721_072553.jpg

自宅の庭ではキツネノカミソリが咲きはじめました。
IMG_20200722_163538.jpg
posted by tomochan at 14:38| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月24日

鎌倉街道探索ウォーク 高崎市街地編その2

鎌倉街道の北の出発点である高崎の市街地に残された鎌倉街道の痕跡を、歩いて探すという企ての続きです。

2回にわたって書くほど内容の濃い探索ウォーキングだったというわけではなく、ただ単に、今回初めて採用したグーグルマップに情報載せる情報量の増やし方がわからないからなのであります。

さて、前回から私は、塩澤裕著「鎌倉街道平成に歩く」(さきたま出版会発行)に紹介されていたコースで、鎌倉街道そのものかどうかは不明ですが、それに極めて近いところを走っていることだけは確からしい、どことなく趣のある小道を進んでいます。

ポイント10(以下各ポイント番号はグーグルマップのコース上のマーカーに対応しております)
10-1.jpg

烏川の河岸段丘の崖の上にある道のため、大変眺めがよいです。

10-2.jpg

埼玉県内もそうですが、鎌倉街道の跡といわれるところは、他に低地がある場合でも、高台もしくは丘陵上に多く存在することが多いように感じられます。

現代人の感覚からすると、わざわざ高いところに道を造らなくとも、低いところに造った方が効率的ではないかと思ってしまいますが、川の水が増えたときなどは、それから逃れる術を持ち合わせていなかった昔の人は、避けることしかできなかったのでしょう。
昨今、各地で発生する水害などを見ると、そういった昔の人の考えなども、もっと参考にしてもよいのではとも思うのですが。


ポイント11
11.jpg
いよいよ道が狭くなって、徒歩で来たことが正解と思われるようになってきました。
こんなに狭いのでは、自転車で通るのもちょっと気が引けます。


ポイント12
12.jpg
下和田二丁目で車が通れる道に出ました。
ちなみに高崎の古い地名は和田だそうです。
高崎はこういう古い地名が比較的よく残っているのだとか。




ポイント13
13-1.jpg
国道17号にかかる橋を越えるとすぐにあった上信電鉄の踏切です。

写真ではよくわかりませんが、踏切を渡り終えると正面の植え込みの中に石碑が建てられていました。
13-2.jpg


13-3.jpg

碑文を読むと、場所ははっきり特定されてはいないようですが、この辺りを鎌倉街道が通っていたことは確かなようです。
それにしても、今は国道と線路と、近くには新幹線も走っているという、大変なにぎやかなところでありました。

歩行者専用道路をしばらく進むと、神社とお寺がある場所に出ました。
0.jpg
神社は琴平神社といい、狛犬の代わりに天狗と烏天狗がすっくと立っていました。


ポイント14
神社からは車道になり、新幹線の高架をくぐり、100mほど行ったところにあった道しるべと馬頭尊
14.jpg

オリジナルの石の道しるべは風化してしまって何と書いてるかわかりませんが、新しく作った木の方の道しるべには「ち〃ぶ」の文字がありました。
P1020797.jpg
江戸時代以降に造られたとのことですが、古道の雰囲気が感じられてなかなか良いものです。

この先で、少し広い道路に合流。
その道は、前述の本でも、また別の鎌倉街道探索本でも、鎌倉街道として取り上げられていた道です。

でもここからがちょっと大変でした。


ポイント15
15.jpg
鎌倉街道跡といってもご覧のような住宅街。
日も高くなって建物の影はほとんどなくなり、日陰を作るような木も全くと言って見あたらず、電柱の陰でさえありがたく感じられるような状況になってきました。

それでもなんとか見覚えのある場所に到着。

ポイント16
16-1.jpg
いつの間にか佐野地区に足を踏み入れていて、佐野橋への分岐までやって来ていたのでした。

分岐の脇にある佐野の船橋歌碑
16-2.jpg
この近くにある現在の佐野橋あたりに、船をつないで橋にした舟橋があったということです。
鎌倉街道が烏川を渡る地点は、この辺りに数か所あったようで、佐野の舟橋もその一つということです。

今回渡るつもりの佐野橋は、後回しにして、先に常世神社に寄ってみることにしました。

ポイント17
17.jpg
常世神社です。
「いざ鎌倉」の見本のような武士、佐野源左衛門常世が謀略にひっかかり領地を追われ、当地に逃れて来た際の居宅跡に建立された神社ということです。

では、常世様にご挨拶。
17-2.jpg

厳重ではないにしても、しっかりと閉ざされた扉を開けます。
P1020819.jpg

初めての時は、扉を開けるのに少し緊張しましたが、今回で3回目なので余裕です。
とはいうものの、とんでもないものが出てきたりしたらどうしようと思うと、びびりーな私はやはりちょっぴり緊張します。


17-3.jpg

良かった、いつのも常世様だ。

大雪の中、寒さに震える旅の修行僧に暖まってもらう焚き木にするために、大切にしていた鉢の木(盆栽)を切るシーンですね。
17-4.jpg
その旅の修行僧というのが、姿を変えて諸国を廻っている北条時頼で「どんなに困窮していても『いざ鎌倉』の備えに怠りはない」との常世の姿勢に感銘を受けた時頼は、後に再会した際、失われた領地を与えて報奨したというお話です。

この話は有名な謡曲にもなっているのだそうですが、その方面に縁がない私は、子供のころ何かで読んだことを覚えています。
戦前には小学校の教科書にも載っていたそうですが、私が読んだのは教科書ではなくて、少年サンデーかマガジンだったことだけはハッキリ申し上げておきます。(ジャンプの名前が出ないあたりは怪しい)

ともかくも、本日でいちばん鎌倉街道、鎌倉時代に近づいた時間でした。


さて、常世神社をあとにして、佐野橋を渡って対岸の根小屋方面に向かうとします。

ポイント18
佐野橋
18.jpg
なんと通行止め。

18-2.jpg
もうほとんど完成しているように見えますが、とにかく工事中で渡れませんでした。

通行止めの件は、なんとなくどこかで聞いたことがあったような気もするのですが、もう何年も前のことのような気がして、まさかまだ渡れないとは思ってもいませんでした。


鎌倉街道としては、ここで烏川を渡らない場合、川に沿って下流に向かい、現在の一本松橋あたりで渡り、山名の手前に至るルートもあったそうです。


そちらに向かうことも考えましたが、地図で見ると新幹線の側道のような直線の道がずっと続く、単調な行程のように思えるので、やめました。

本当のところ、あまりにも暑くて、音を上げてしまったというところだったのですが。

「いざ鎌倉」が笑います。

佐野橋で途方に暮れていると、運よく上信電鉄の高崎行き列車がやって来ました。
18-3.jpg


そうだ、あれに乗って帰ろう。

と言うことで、すぐ近くの佐野のわたし駅から電車で帰ることにしました。

鎌倉街道は逃げないから


19.jpg


19-2.jpg
高崎駅で清算するともらえる「佐野のわたしから高崎ゆき」の切符、記念に持ち帰りたかったのですが、回収されてしまいました。


帰りに、以前から気になっていた高崎駅の駅ソバを食べました。
20.jpg
何十年かぶりに駅のホームの立ち食いソバを食べましたが、疲れた体にしょっぱいおつゆが染みるようで、とてもうまく感じました。



posted by tomochan at 11:58| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月21日

鎌倉街道探索ウォーク 高崎市街地編その1

さて「ときわはし」を出発して、常盤町交差点で旧中山道に合流し、しばらく行くと歴史のありそうな建物がありました。


ポイント1
001.jpg
明治時代に建てられた岡醤油醸造という醤油屋さんです。

この建物と道路の反対側の山田文庫の建物を見て、以前もこのあたりを自転車でジロジロしたことがあるのを思い出しました。
目的は何だったか覚えてませんが。

ポイント1から数十メートル進んだところを、右に曲がり、車1台やっと通れるような路地に入ります。

ここで旧中山道から離れたわけなのですが、この道が鎌倉街道ということではなく、前回の記事で紹介した書籍「鎌倉街道 平成に歩く」に記載されていた道ということです。

おそらく著者としても街道の雰囲気を味わえる道ということで紹介されたのだと思いますので、こちらもそのつもりで歩くことにします。

先ほどの路地から中央小学校に突き当たった後、校庭に沿うように歩いてると高崎城跡と思われる場所に出ました。


ポイント2
002.jpg

この日は、それまでの肌寒い梅雨空とは打って変わって朝からお日様がギラギラ。
それを予想して、日焼け止めは持ってきたのですが、帽子を持ってくるのを忘れてしまいました。

途中の中央銀座商店街でテレビでも見たことがある帽子屋さんがあったので、そこで買えればよかったのですが、あいにく開店前。
仕方がないので、なるべく日陰を選んで歩いて行くことにします。


ポイント3
003.jpg
しばらくは高崎城の土塁の脇に作られた遊歩道を歩くことにします。


ポイント4
004.jpg
日陰の遊歩道も終わり太陽の光が燦燦と降りそそぐ道。
お濠沿いとはいえ、このまま行っては熱中症になりかねないので、やはり城跡の公園の中を通って行くことにします。

こうなると鎌倉街道の痕跡を探すという目的はどこへやら。
日陰の道を探す方に夢中になってしまいました。


ポイント5
005.jpg
高崎城の面影を唯一残す乾櫓と東門。
ここで、今年初めてミンミンゼミの鳴き声を聞きました。

高崎城址公園を出てたあとは、お濠端通りを経て観音通りに出たのですが、その途中で源頼朝の馬が化け物と間違い蹴ったという「化け石」という石があるというので探してみましたが、どうやら病院の敷地内にあるらしく、見学するのは諦めました。


ポイント6
006.jpg
観音通りと鎌倉街道とされる道の分岐点

ここまでは、あまりの暑さのため、鎌倉街道探しというよりも日陰街道探しになってしまった感がありましたが、ここへ来て、ようやく鎌倉街道に結び付く場所にたどり着いたようです。

ポイント7
007.jpg
この坂は小万坂と呼ばれる坂で、写真の左側に見える赤いのぼりの先には鎌倉街道にまつわる伝説が残っている小万地蔵という地蔵堂があります。

件の本によると鎌倉街道は、上のポイント7から高崎市街地の方に数m戻った道ということなのでそちらに進んでみます。

そこは車が1台やっと走れるような狭い道で、昭和の面影が残る静かな住宅街でした。


ポイント8
008.jpg
前述の道を200メートルほど進んで墓地に行き当たったあと、左折してすぐ右折。
どこか趣のあるこの道に入ります。


ポイント9
009.jpg
道はさらに細くなり、車の通行は不可能なほどになってきました。


さて、いよいよこれから日陰探し旅から本格的な鎌倉街道探しの旅になる(かもしれない)のですが、今回はここまで。

というのも、今回は自分の備忘録もかねてグーグルマップに歩いたルートと写真を写したポイントをマークしてみたのですが、使い方がわからないせいか、容量不足でマップにこの程度の情報しか載せられなかったのです。
まあ、内容がなかったのでちょうどよかったのかもしれませんが。






posted by tomochan at 18:45| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月19日

「いざ鎌倉」で「いざ高崎」

私は今、バー、スナックなどの飲食店が立ち並んでいる高崎市の柳川町にいます。
003.jpg


朝だというのに、カラオケに興じる歌声や女性の嬌声が外まで漏れ出てくる店などもあります。(この店ではありません)
002.jpg

なかには、腕を組んで歩く、客とお姉さんと見受けられる二人連れなども。

もちろん、私は昨日の晩からこの街にいてこれから家に帰るのではなく、朝早く家をでてやって来たのです。

夜の街の新型コロナの感染対策や働く方の実情などを視察するということもやってはみたいと思いますが、やはり、そういうことはどこかの政治家さんとかに任せておいて、私のようなおじさんはそういうところには近づかない方が無難ですよね。


とはいうものの、私もカワイ子ちゃんを見つけて、この時ばかりは思わず声を掛けてしまいました。
001.jpg
「ニャーちゃん、こっち向いて」

あら、あら
004.jpg



冗談はさておき、今回高崎市にやって来た理由はというと、高崎が鎌倉街道の出発地で、今日はその道筋の探索にやって来というわけなのです。

005.jpg

寄居駅から八高線に乗るときにちょっとしたアクシデントがありましたが、今回の旅のお供である塩澤裕著「鎌倉街道平成に歩く」(さきたま出版会発行)を携えて、プチ旅行気分で高崎までやってきました。

この本は昨年に買い求めたものの、ほとんど読まずにいたところ、先週、やはりこの高崎で飲酒を伴う会食、というか飲酒メインの会があり(柳川町ではありません)、その際、この本のことを思い出し、時間があったら高崎の街で鎌倉街道の探索でもしようと思ったのです。
ところが、全くそんな時間はなく、ただひたすらビールと群馬の地酒を飲みまくっただけだったような気がします。

そこで、思いついたら吉日ということで、熱が冷めないうちの高崎再訪となったわけです。


さて、八高線で高崎駅に着いた後は、中山道、中央銀座、先ほどの柳川町、再度中山道、鎌倉街道出発点(前述の本における出発点)というコースを想定していたのですが、いきなりコースミス。

その前に説明しておくと、今回の探索は自転車でのポタリングではなく、徒歩によるものです。
高崎は大きな街で、細い路地のようなところも通るかもしれないので、市街地に関しては自転車よりも歩いたほうが良いと思ったからなのです。

さて、そのコースミスですが、駅を出て5、6分くらい歩いたところで、周りが住宅街になってしまったのに気づいたのです。
慌てて、地図を出して確認したところ、西口に出るべきところを東口に出てしまったのでした。
前述の飲み会の会場が東口であったので、すっかり同じ道をたどってしまったようなのです。

駅に引き返す途中、この住宅街にお住いのご婦人だと思いますが、
「おはようございます。気を付けて行ってらっしゃい」
と声を掛けられてしまいました。
ここの地元の人がどこかへハイキングにでも行くのかと勘違いされたのかも。

高崎駅東口から
005-2.jpg

西口に出てレンガ通りというところに来ました。
005-3.jpg

中山道を横断して
005-4.jpg

中央銀座
0055.jpg
この辺は、以前自転車で通ったことがあるので見覚えがあります。

そして、先ほどの柳川町を経由して、赤坂町で再び中山道に出ました。
006.jpg


ここで、実際の鎌倉街道とは関係ないのでしょうが、店名が鎌倉街道に関係がある和菓子店がありました。
007.jpg
「鉢の木 七冨久」
おいしい饅頭があるのだそうですが、残念ながら時間が早く開店前だったので購えず。
鉢の木についてはこの後、別のところで訪問予定。

中山道の赤坂通りを下って行くと常盤町交差点の先に、今日の出発点である「ときわはし」が見えてきました。
008.jpg


ときわはし
009.jpg
橋の向こうの高台は国道17号です。

せっかくですから17号に出てみました。
010.jpg

烏川の対岸には白衣観音のお姿が
011.jpg


さて、今回はここからスタートスタートするわけですが、鎌倉街道は江戸時代にはすでに古道の扱いで、当時もはっきりしないところがあったようなので、出発点も含めて道筋は諸説ありです。
そのため、今回は前述の「鎌倉街道平成に歩く」に紹介されていたコースをなるべくたどるようにしようかと思っています。


「ときわはし」から鎌倉?方向を望む
012.jpg

続く(とりあえずもう1回かな)
posted by tomochan at 17:30| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月17日

「花のあとさき ムツばあさんの歩いた道」観ました


先日「花のあとさき ムツばあさんの歩いた道」というドキュメンタリー映画を鑑賞しました。

元々は、ムツさんというおばあちゃんを2002年から追い続けたNHKのドキュメンタリー番組でしたが、それが今年映画となって公開されたのです。

テレビ時代には何本も放映されていたようですが、たまたま、その中の1本を観て感激してしまい、矢も楯もたまらずに自転車でムツばあさんの家まで行ってしまったことなどありました。その時の記事はこちら
10年前は元気だったのです。(ムツさんではなく私のこと)

新型コロナの外出自粛要請の期間は終わっていましたが、映画館での観客は私を含めて4〜5人くらいだったでしょうか。
これなら人目を気にせずに思い切り泣けるというもの。
とは思ったものの、テレビを見た時ほどの涙は出ませんでした。
もちろん内容に問題があるというわけではありません。
ムツばあさんの生き方に大分慣れてきたせいかもしれませんね。


10年前に撮ったムツばあさんの家の近くの花
RIMG1432.jpg


その時お話をさせていただいた方
RIMG1441.jpg
この方が映画に登場した新井武さんだったのでしょうか?

その方を含め、私が奈良尾に訪問したころは、5世帯で9人くらいは暮らしておられたように記憶していますが、今やだれ一人住んでないということを知り、本当に驚きました。

こういう集落が日本中どこにでも存在する世の中になってしまったんだなあと少々複雑な思いです。


「長い間お世話になった畑が荒れ果てていくのは申し訳ない。せめて花を咲かせて山に還したい…」

ムツばあさんほどではありませんが、私もジロジロファームに花や木を植えています。

陽光桜
IMG_20200323_072441.jpg

IMG_20200323_072403.jpg

吉野桜
IMG_20200406_072026.jpg
 
種類不明桜
IMG_20200323_072629.jpg


IMG_20200403_071122.jpg

ブルーベリー
IMG_20200427_102321.jpg

ポポー
IMG_20200427_101828.jpg


菜の花
IMG_20200329_072628.jpg

カモミール
IMG_20200511_065642.jpg

ポピー
IMG_20200515_181416.jpg
ほとんどが自然に生えてきたんですけど。

それでも、ミツバチなどには役に立っているようで。
IMG_20200524_065527.jpg

ミツバチたちからは「tomoじいさん」て呼ばれてたりして。

posted by tomochan at 17:59| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月09日

アートにエールを! ヤギにもエールを!

先日、ジロジロファームにおいて、ある動画の撮影が行われました。

「アートにエールを!」
という東京都の芸術文化活動支援事業に参加するための作品作りだそうです。

簡単に言うと、新型コロナ禍によって仕事を奪われてしまった芸術に携わる人たちに活動してもらって、その分の報酬を東京都がお支払いましょうということでしょうか?
ワタしゃ、場所を提供しただけですから良くわからないですけど。


「アートにエールを!」ホームページのアドレスはこちら→https://cheerforart.jp/


ジロジロファームに来る前にこんなところでも撮っていました。
IMG_20200616_125231.jpg


ジロジロファームでの撮影風景。
IMG_20200616_145749.jpg

この日来てくれたのは、若手落語家の春風亭一花さん、金原亭小駒さんと三味線漫談の林家あずみさん。
春風亭一花さんは笑点の若手大喜利で拝見したことがありました。
金原亭小駒さんは存じ上げてませんでしたが、昭和の大名人のひ孫ということのせいか、お若いのに風格というか味があるというか、素敵な方でした。
林家あずみさんは林家たい平さんのお弟子さんで、独演会には毎回登場されているので、こちらにとってはおなじみの方でした。

メイちゃんんも出演。
IMG_20200616_155721.jpg

仕事がなくていつもゴロゴロしているメイちゃん。

ヤギにもエールを!

そんなこと訴えていたのでしょうか?
posted by tomochan at 18:16| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月06日

秩父と川崎はつながっていたけど

先日、所用で太平洋セメント熊谷工場の近くに行った際、秩父鉄道の引き込み線の踏切を渡りながら、ふと思い出したことがありました。
 
 それは2、3年前にネットの記事で知ったことなのですが、この内陸部にあるセメント工場には、川崎市の港から燃料用の石炭がトラック輸送ではなく、列車で送られて来ているとの内容でした。そしてそこは明治以来各地に存在した石炭列車の日本で最後の路線だったらしいのです。

熊谷と川崎が線路で結ばれていたとすると、山深い秩父も鉄道で川崎の海と結ばれ、最終的には石炭の生産地オーストラリア?とつながっているんじゃないかと、その記事を見たときは、ちょっとした感銘を受けたことを思い出しました。
まあ、線路というものは、会社が違ってもどこかで他の路線とつながっているものかもしれませんけど。(鉄道ファンでないので良くわかりません)

このようなことを思い出しましたので、ちょこっと線路をジロジロしてみることにしました。
鉄道には全く詳しくはないので、鉄道ファンの方からする噴飯ものの内容になるかもしれませんが、そこのところは大目に見て下さい。

太平洋セメント熊谷工場のあたり。
IMG_20200701_140934.jpg
セメント工場に隣接している秩父鉄道貨物支線三ヶ尻線三ヶ尻貨物駅付近と思われます。
左にカーブして行った先がセメント工場で、右にまっすぐ伸びている線路の方向がJR高崎線方面です。
JR高崎線方面に向かう線路の180度方向は秩父線の武川駅方面です。
と言うことは、武川駅から来た線路はセメント工場に入らなければ、ほぼ直線でJR高崎線方面に出られるわけです。

川崎で積み込んだ石炭をセメント工場で降ろした後、貨車(空車)は、三ヶ尻線でJR熊谷貨物ターミナルからJR高崎線に入り、大宮操車場〜新座貨物ターミナル〜JR武蔵野線西国分寺駅〜同府中本町駅〜梶ケ谷貨物ターミナル〜JR南武線浜川崎支線尻手駅〜JR鶴見線浜川崎駅〜同扇町駅へと向かうらしいのです。(間違っていたらごめんなさい)
その間、何と二日間かけての輸送だそうです。

セメント工場を出て川崎方面に少し行ったところの踏切。
IMG_20200701_135651.jpg
撮る人が撮れば「工場萌え」的な写真になるのでしょうが・・・


三ヶ尻線がJR高崎線と並走を始める地点には行ったことがなかったので今回初めて行ってみました。
IMG_20200701_134828.jpg


写真の右後方から来た三ヶ尻線がここでJR高崎線と並走して熊谷貨物ターミナルに向かい、最終的に川崎の埠頭に出るののですね。
IMG_20200701_134712.jpg
運良くJR高崎線の列車がやって来ました。


話はそれますが、家に帰る途中に三ヶ尻の観音山の下を通った際、時期的にキスゲが咲いているかもしれないと思ったので、寄ってみることにしました。

山の中腹に黄色い花の群落が見えたので、近くに行ってみることにします
IMG_20200701_141300.jpg

IMG_20200701_141923.jpg


以前はなかった看板が立てられていました。
IMG_20200701_141501.jpg
「人生100年階段」
看板に書かれているとおり一段ずつ数えながら登りました。
頂上が見えるあたりに達したとき、このまま行ったら自分の年に達する前に階段が終わってしまうのではないかと焦りましたが、そこは頂上でなくて一旦平になるところでした。やれやれ。

その平場に生えているキスゲに見えた花はよく見ると、何やらカンゾウに似ていました。
そこで、スマホで「熊谷観音山のキスゲ」で検索してみると、10年くらい前の拙ブログが出て、カンゾウをキスゲと間違えた当時の記事が出て来ました。
ここのキスゲは5月に咲くらしいのです。
全く進歩してない自分にあきれてしまいました。

閑話休題。
更に家に向かって行くうち、今度は秩父線の本線と三ヶ尻線が別れる場所もじっくり見たことはなかったので、寄って見ることにしました。
IMG_20200701_143611.jpg
ここでも運良く、秩父から石灰石を太平洋セメント熊谷工場に運んで、帰ってきた石灰列車(空車)を見ることができました。手前の直線の線路が秩父線の本線です。

ここまで来たら、三ヶ尻線の出発点である武川駅にも行ってみないといけない、というか、帰り道なので武川駅に行ってみました。
今度は秩父から来た石ちょうどセメント工場に出発したところでした。
IMG_20200701_144212.jpg

三ヶ尻線の貨車は1日何本くらい走っているのかわかりませんが、この日は1時間くらいの間に2本も見られてラッキーでした。

おまけ。
次の日も武川駅の近くに行ったので、秩父に向かう石灰列車をパチリ。
IMG_20200702_165734.jpg

この後知ったことなのですが、この川崎から熊谷までの日本最後の石炭列車、今年の3月いっぱいで廃止されたとか。
それにともなってだと思いますが、太平洋セメントの熊谷工場から熊谷貨物ターミナルまでの三ヶ尻線もこの9月に廃止されとのこと。

古代は秩父は海だったらしいのですが、ここへ来てまた海と縁が切れてしまいました。


それから別の話ですが、車両の入れ替えに同路線を利用してきた東武東上線はどうなるのでしょう。

冒頭に書いたとおり、どこかで他の路線とつながっているのでしょうか。

気になるところです。
posted by tomochan at 19:20| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月04日

添付カエル

最近、新型コロナウイルスの影響でオンライインで会議や飲み会などを行うことが増えているようです。
飲み会の方はまだ試したことはありませんが、会議の方は先日体験しました。

それまでオンライン会議なんて、パソコンの設定したりすることを考えると面倒くさくてやりたくないと思っていたところ、いざやってみると意外と簡単に参加出来たので、これはこれでありだなと思いました。

飲み会の方ですが、こちらは参加には慎重にならざるを得ません。
自宅での飲酒ということで、つい気楽になって、どこかの芸能人のように羽目を外してしまうかもしれませんからね。^^

オンラインによる会議や各種申請などのほか、文書のやり取りなどもファックスを使うことがほとんどなくなり、大体がメールになりました。
添付ファイルにすれば、文書以外のデータなども送れて便利ですものね。


こういうご時世の中、先日車を走らせていると、突然フロントガラスに何やら添付されました。
IMG_20200701_104033.jpg

止まってよく見るとアマガエル。
IMG_20200701_104057.jpg

添付ファイルならぬ添付カエル。

直前に木が生い茂るところを通過したので、その時に木の上か脇の法面から飛び移ったのではないかと思います。
自宅もすぐだったので、とりあえずこのまま添付して自宅まで走り、無事カエルと言うことになりました。


その前には、こんなことも添付物もありました。

やはり車を運転していると、フロントピラーの横からあるものがチラチラ顔をのぞかせたのでびっくり。

脇道にそれて、車を駐めて見てみると
IMG_20200624_110614.jpg
カミキリムシでした。

家まで連れて行くには遠すぎるのし、車を駐めたところの脇がハス田だったので、ハスの葉っぱにくっつけてやりました。
IMG_20200624_110402.jpg

IMG_20200624_110733.jpg


最近、自宅の玄関にも添付物が付くようになりました。
IMG_20200625_214209.jpg
ヤモリだと思うのですが、去年くらいから夜になると添付されるようになりました。
今までほとんど見かけることはありませんでしたが、どういうことなのでしょう。
家守とも書くし、虫も食べてくれるので、そっと見守っています。
手もかわいいですしね。
posted by tomochan at 16:20| 埼玉 ☔| Comment(0) | 自然をジロジロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする